徳田虎雄
徳田 虎雄 とくだ とらお | |
---|---|
生年月日 | 1938年2月17日(86歳) |
出生地 | 兵庫県高砂市 |
出身校 | 大阪大学医学部医学科 |
前職 | 医療法人徳洲会理事長 |
所属政党 |
(無所属→) (自由民主党→) (無所属→) 自由連合 |
称号 | 鹿児島県徳之島町名誉町民 |
配偶者 | 徳田秀子(薬剤師、徳洲会副理事長) |
親族 |
二男・徳田毅(政治家) 五女・徳田真紀子(医師) |
選挙区 |
(奄美群島選挙区→) (旧鹿児島1区→) 鹿児島2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1990年2月19日 - 1996年 2000年6月26日 - 2005年8月8日 |
徳田 虎雄(とくだ とらお、1938年〈昭和13年〉2月17日 - )は、日本の医師、政治家。鹿児島県徳之島町名誉町民。鹿児島県天城町名誉町民。
医療法人徳洲会理事長、衆議院議員(4期)、沖縄開発政務次官、日本体操協会会長、自由連合代表、特定医療法人沖縄徳洲会理事長、社会医療法人木下会理事長、医療法人静仁会理事長、埼玉医療生活協同組合理事長、札幌医療生活協同組合理事長、公益財団法人徳洲会国際奨学財団理事長などを歴任した。
日本で最大規模の病院・医療事業グループを築くとともに、衆議院議員として政治にも関わった。2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退したが、その後も病床から徳洲会に指示を出し続けた[1]。
来歴・人物[編集]
生い立ち[編集]
アメリカ占領時代の鹿児島県大島郡徳之島町出身(出生は兵庫県高砂市[2])[3]。
実弟が医療を受けられなかったことによる急病死をきっかけに医師を志し[3][4]、阪大受験のため鹿児島県立徳之島高等学校から大阪に単身移り住み大阪府立今宮高等学校へ転校し、1学年下に編入した。実家の家計は苦しかったが父親が先祖伝来の農地を切り売りして仕送りをして学資を支えてくれた[5]。
医師[編集]
2浪して合格した[4]大阪大学医学部医学科を卒業後の1973年(昭和48年)、「失敗したら自殺して、その保険金で返す」と説得して銀行から融資を受け[3][5]「徳田病院」を大阪府松原市に設置し、さらに1975年(昭和50年)、医療法人徳洲会を設立した。
「24時間、救急患者を受け入れる」「患者からの贈り物は一切受け取らない」「差額ベッドの廃止」[5]等、それまでの医療の常識を打ち破る特異な方針を打ち出して実行し、全国の医療機関に大きな影響を与える。
「
性格[編集]
「人命救助のためなら、人殺し以外は何でもやれ」[3]
徳洲会設立当初「生命だけは平等だ」の理念のもと、連日病院に泊まり込むなど、強い信念で仕事に臨む一方、医療のためには手段を選んでいられないという考えから赤信号を守らないなど規範意識が薄く[3] 、部下の運転手が赤信号で停止するたびに缶で頭部を殴打するなど[3] 、グループ内では暴君として恐れられた[6][7]。家でも、医療のことを考えるため、妻の話はくだらないとしてさえぎり聞かない[8]。
衆議院議員[編集]
徳州会の全国展開を進める一方で医療制度の改革には政治改革が必要との認識に至り政治家を志す。1983年(昭和58年)と1986年(昭和61年)の衆議院総選挙に鹿児島県奄美群島選挙区から立候補し、保岡興治の前に落選[3]。このときの選挙戦は選挙違反による逮捕者が続出するなど島を二分する激しい対決となり、「保徳戦争」と呼ばれた[3] 。
1990年(平成2年)の衆議院総選挙に無所属で初当選し自由連合を結成するが[3]、この時点での自由連合は保守系無所属議員の寄り集まりであった。
1993年(平成5年)の衆議院総選挙では、選挙直前自民党に入党し、再選。しかし、日本医師会の意向でわずか3日[9]で追放された。
その後、1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表として活躍。村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。1996年(平成8年)の衆議院総選挙で落選したが、2000年(平成12年)の衆議院総選挙で復活を果たし、2003年(平成15年)の衆議院総選挙でも再選された。
そのほか、日本体操協会会長、アジア体操連盟会長も歴任している[3]。
病気療養[編集]
2002年(平成14年)4月1日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の発病に気付いた。2004年(平成16年)2月ごろから病状が悪化し、そのため国会に出席できず、療養していた。しかし、この時点では病名は公にしなかった。2005年(平成17年)8月8日の衆議院解散をうけ、体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。
後継として2005年(平成17年)9月11日の衆議院総選挙に次男の徳田毅が立候補、当選。自由連合代表に就任した。その選挙の折、虎雄と交流のある川井宏之の元を訪れ相談したとされている。しかし毅は2006年(平成18年)11月2日に自民党入りを表明。虎雄の現役当時とは違い、自民党入党への抵抗も薄れていたと見られる。自由連合の去就は再び虎雄の手に委ねられることとなった。だが、毅は11月29日、自民党への「入党願」を出した後で、「地方議員はいるので、自由連合を今後どうするかは父の判断だ。しかし、参院選に候補者を立てるのは難しいのではないか」と記者に語った。
同日、虎雄は日本ALS協会設立20周年記念式典に一患者として出席し、闘病中であることを初めて公にした。協会から登壇を促されたが、人工呼吸器装着のため話すことができず、用意した文章を代読して貰った[10]。そのメッセージにおいて徳田は「これからが人生の勝負です」と語り、日本国内及び世界中に病院を設立する計画を明らかにした。
普天間基地移設問題に絡み、有力な移設先候補である徳之島に多大な影響力を持っている徳田に対し、2010年(平成22年)4月28日に内閣総理大臣鳩山由紀夫が面会。毅の立会う中、協力を要請したが徳田は拒否した。同年夏、自由連合は解散届を総務大臣に提出して正式に解散した。
2012年(平成24年)現在、2010年に新築された神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院最上階15階にある、電子錠付の富士山を望む特別室で治療を受けながら[11]、文字盤を使ったコミュニケーションにより徳洲会を経営し最高決定権を掌握していた。2011年の青木理とのインタビューでは「私はいつ死ぬか分からない状態です」と語る一方、今後の徳洲会については「あと5年は私が体制を作る必要がある」と運営への執念を見せた。
2012年(平成24年)10月下旬、徳之島町から名誉町民を授与される。伊仙町政施行50周年記念式典に出席するため、9年ぶりに故郷である徳之島に帰郷した。
TPP[編集]
2011年(平成23年)11月、 18年間徳洲会で働いていた「徳之島病院」の事務局長を、TPP反対集会に参加しなかったという理由で即時解雇を言い渡している[12]。
また息子である徳田毅もかねてからTPPに強力に反対していた。 息子の毅は自身のブログにも、
これまでの日米経済交渉では、オレンジ、米、自動車、半導体などひとつひとつで厳しい交渉をしてきた日本が、貿易、金融、保険、知的財産、政府調達、医療、教育など全ての分野において、米国が定める経済ルールを全て押し付けられ、我が国は主権国家であるにもかかわらず、何一つ決めることが出来なくなり、果として次世代の子供たちは日本の国創りが出来なくなるということが本当にわかっておられるのでしょうか。 — 徳田毅オフィシャルブログ2012年 11月12日より
と書き綴っている。
その為、「徳田親子と徳州会を刺した特捜部のバックにはアメリカ合衆国がいるのでは」という憶測が出ている[13]。それが以下の事件である。
徳洲会事件と退任[編集]
2012年12月、衆議院選挙で鹿児島2区に立候補し、当選した徳田毅議員の陣営に多数の職員を給与・日当を払い運動員として派遣した疑いがあるとして、総務省から公職選挙法違反の可能性がある疑惑が掛かっていることが2013年9月16日に明らかになったとNHKなどに報じられた[14]。同年、東京地検特捜部は、虎雄の娘2人を含めた6名を逮捕し、その後虎雄夫人の徳田秀子も逮捕したが、虎雄本人については、起訴相当と考えながらも、生命の危険があるため、中止し、病状などの行方を見て、判断を見送ることを決定した[15]。
これらの事件の責任をとり、2013年10月20日、医療法人徳洲会及び特定医療法人沖縄徳洲会の理事長職から退任するとともに、社会医療法人社団木下会、医療法人静仁会、埼玉医療生活協同組合、札幌医療生活協同組合の理事長職からも退くことを明らかにした[16][17]。一方、11月3日付で株式会社徳洲会、徳洲会建物管理株式会社、インターナショナル・ホスピタル・サービス株式会社など6社の社長に就任しており、院政を敷くのではないかとの観測が流れた[18]。
2019年の第28回FNSドキュメンタリー大賞では鹿児島テレビが虎雄の半生を題材として取り上げた『トラオの夢 病院王・徳田虎雄とその時代』を製作し、同年10月2日深夜にフジテレビで放送された[19]。その中では81歳となった2019年4月の時点での虎雄の近況も紹介され、もはや車椅子に乗れずにベッドに横たわったまま、目で意志を伝えることも困難な状態となっている[20]。
家族[編集]
弟[編集]
- 長弟・友助は麻酔科医で京都大学医学部附属病院麻酔科などを経て、徳洲会副理事長を務めた。
- 次弟・孝徳は宮崎医科大学出身の外科医で医療法人聖山会理事長、徳田診療所院長などを務めている。
- 三弟・千代吉は内科医で奈良県立医科大学などを経て、徳田診療所副院長。
妻子[編集]
- 同郷で幼馴染みであった妻、徳田秀子は薬剤師であり、徳洲会副理事長や関連の社会福祉法人理事長を務める。
- 長女・徳美(結婚後は越澤徳美)は東海大学医学部出身の医師で、徳洲会グループの病院に勤務後、株式会社徳洲会(東京都千代田区麹町。医薬品販売事業など)社長。徳洲会グループの人事を取り仕切っていたとされる[21]。容姿は父に酷似している[22]。千代田区の高級マンションのワンフロアを所有し、徳洲会グループの職員に高級車を運転させ生活していたという[23]。夫は税理士で株式会社徳洲会副会長、インターナショナルビジネスサービス(千代田区麹町。医療用品卸売業)副社長を務める[24]。
- 長男、徳田哲は2浪して入学した埼玉医科大学を卒業後医師となり[4]、現在は医療法人徳洲会副理事長、一般社団法人徳洲会副理事長。妻は薬剤師で株式会社ケアネット徳洲会(千代田区麹町。介護関連業・有料老人ホーム運営)社長[24]。
- 次女・美千代(結婚後はスターン美千代)は眼科医。1992年金沢医科大学卒業(成績優秀表彰)。沖永良部島、奄美大島、喜界島などでの僻地医療従事を経て、医療法人徳洲会理事、GPホールディングス社長、インテグレード・メディカル・システム(大阪市北区梅田。不動産賃貸業・管理業)社長、インターナショナル・ホスピタル・サービス株式会社(大阪市北区梅田。徳洲会グループの保険代理店業)社長、医療法人社団星英会(港区赤坂、眼科スターアイクリニック)理事長。徳洲会グループの資金面を統括していたとされる[21]。夫は外国人医師で徳洲会東京本部海外プロジェクト代表執行役員[24]。
- 三女・真理は産婦人科医で、医療法人徳洲会理事、一般社団法人徳洲会理事などを務める[24]。
- 四女・ゆかり(結婚後は三宅ゆかり)はオペラ歌手で、一般社団法人徳洲会理事で株式会社ダイエタリーケア(千代田区麹町。徳洲会グループ病院・施設への給食事業)社長。
- 次男、徳田毅はハネムーンベイビーである。帝京大学で法律を学び、大学中退後に株式会社インターナショナルビジネスサービス社長、一般社団法人徳洲会副理事長を経て、2005年(平成17年)から衆議院議員を務め、第2次安倍内閣の国土交通大臣政務官を歴任。妻は株式会社インターナショナルビジネスサービス社長を務める。
- 五女・真紀子は金沢医科大学出身の形成外科医で、北里大学形成外科入局を経て、医療法人徳洲会理事、一般社団法人徳洲会理事、湘南藤沢徳洲会病院形成外科・美容外科医長。
子育ての方針[編集]
子供には、厳しくしつけをした。帰宅時には、子供たちに正座で迎えさせ、自らのことは「理事長」と呼ばせるなどし、四女と次男を除き、医師に育てた。そのため親子関係は悪かったとされ、筋萎縮性側索硬化症が悪化するまで、子供たちは父と距離をとっていたとされる[21][22][7]。
交友関係[編集]
議員時代に交流した石原慎太郎元東京都知事、亀井静香元建設大臣などと親しい[25][1]。徳洲会病院に勤務経験がある小児科医の阿部知子衆議院議員[1]にも、選挙事務所に徳洲会グループ職員を派遣するなど、支援を行っていた[26]。
選挙歴[編集]
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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落 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 45 | 奄美群島選挙区 | 無所属 | 4万8538票 | 48.72% | 1 | 2/3 | / |
落 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 48 | 奄美群島選挙区 | 無所属 | 4万7424票 | 47.60% | 1 | 2/3 | / |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 52 | 奄美群島選挙区 | 無所属 | 4万9591票 | 50.36% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 55 | 旧鹿児島1区 | 無所属 | 7万7491票 | 15.23% | 4 | 3/9 | / |
落 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 58 | 鹿児島2区 | 自由連合 | 8万4448票 | 46.26% | 1 | 2/3 | / |
当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 6月25日 | 62 | 鹿児島2区 | 自由連合 | 10万2233票 | 50.33% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 65 | 鹿児島2区 | 自由連合 | 9万7423票 | 49.13% | 1 | 1/3 | / |
著書[編集]
- 『生命だけは平等だ : わが徳洲会の戦い』〈カッパ・ブックス〉、光文社、1979年7月10日。
- 『知らなかった救急法:この知識が手遅れを防ぐ 最新医学が教える』1980年 経済界リュウブックス
- 『頭の悪い奴が成功する : 奇跡を生みだす行動の哲学』〈ノン・ブック〉、祥伝社、1982年3月5日。ISBN 978-4396101985。
- 『わが医療革命』サンケイ出版、1982年9月25日。
- 『ゼロからの出発 : 実現できない夢はない』講談社、1985年4月25日。PDF版
- 『わが語録:真実を求めて:生か死か』1986年 海風社
- 『母の力』1992年 市井社
- 『贈り物をもらわない医者:“医療ビッグバン”で日本を変える』1998年 光文社カッパ・ブックス ISBN 4334006299
- 『「大医」は国を癒す 徳田虎雄の直言 二〇〇一年~二〇〇二年』エピック 2002
- 『生きる力 愛する人々のためなら頑張れる!』2007年 PHP研究所
- 『生命だけは平等だ。』2007年 PHPエディターズ・グループ ISBN 9784569695846
- 共著
- 竹村健一『オレたちのように生きてみないか : 80年代の成功のリズム』〈Sun business. 日本の進路シリーズ〉、太陽企画出版、1982年11月1日。
- 監修
- 『賢明な患者の通院・入院事典』広美出版事業部 1999
映画[編集]
- 『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 製作[27]
関連書籍[編集]
- ばばこういち『徳田虎雄の研究-ドキュメント』ちはら書房、1979年6月。ASIN B000J8GU1G。
- 田中真人『徳洲会・徳田虎雄への疑問』エール出版社、1986年6月。
- 央忠邦『君は全力疾走の向うに何を見るのか-医療革命に驀進する徳田虎雄の素顔』徳間書店、1986年7月。ISBN 4191432818。
- 石井一二『徳洲会はいかにして日本最大の医療法人となったのか-創設者徳田虎雄に迫る』アチーブメント出版、2009年6月。ISBN 978-4902222692。
- 青木理『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』小学館、2011年12月。ISBN 9784093798280 。 - 週刊ポストにおいて2011年4月から8回連載された記事の書籍化。 文庫版, (2013-11), ISBN 978-4094120479 Kindle版, ASIN B00GQVB3QC
(漫画作品)
- 貴志真典『トラオがゆく 徳田虎雄物語』潮流出版、1985年11月。ISBN 978-4924727038 。
- 貴志真典『徳田虎雄物語 トラオがゆく-人生完璧に生きる』グループ・ゼロ、2013年11月。ASIN B00GU4AGZO。(Kindle版)
- 前田和男、小川たけし『立志青雲編 明日はいい日だ(上)』道出版〈徳田虎雄 第1巻〉、1997年11月。ISBN 978-4944154036。
- 前田和男、小川たけし『立志青雲編 明日はいい日だ(下)』道出版〈徳田虎雄 第2巻〉、1997年11月。ISBN 978-4944154043。
- 前田和男、花岡一『医療一揆編 生命だけは平等だ(上)』道出版〈徳田虎雄 第3巻〉、1998年1月。ISBN 978-4944154050。
- 前田和男、花岡一『医療一揆編 生命だけは平等だ(下)』道出版〈徳田虎雄 第4巻〉、1998年1月。ISBN 978-4944154067。
脚注[編集]
- ^ a b c 青木理 2011.
- ^ 徳洲会を作った徳田虎雄ってどんな人? 徳洲会グループ看護部
- ^ a b c d e f g h i j 大平誠『徳田虎雄 病院王外伝 国内最大病院を巡る闘いの舞台裏』PHP研究所、2018年10月。ISBN 9784569840284。
- ^ a b c 直言-生命だけは平等だ 徳田哲 『徳洲新聞』 平成20年1月14日 No.603
- ^ a b c 『生命だけは平等だ わが徳洲会の戦い』(1979/7 光文社カッパ・ブックス ISBN 433400363X、絶版)
- ^ 「徳田議員の姉2人、グループ私物化 虎雄氏病後に深く関与」MNS産経ニュース2013.11.12
- ^ a b 「「選挙の裏資金30億」「信号で止まると激怒」…巨大医療法人・徳洲会の“君主”、徳田虎雄氏の「情熱と業」」MSN産経ニュース2013.11.4
- ^ 青木理.
- ^ 2013年11月14日放映 日本放送協会「クローズアップ現代」によれば10日。
- ^ 「私は駆け出しの患者です」徳田理事長が日本ALS協会式典に出席 徳洲新聞 2006年12月11日付 No.548
- ^ 「徳洲会公選法違反:グループ企業、親族側に月850万円 長女が社長、不透明な報酬」毎日新聞 2013年11月13日 東京夕刊
- ^ 徳洲会・徳田親子、TPP反対集会に参加しない幹部を即時解雇で“粛清” 一審で徳田側が全面敗訴 (MyNesJapan2013年6月17日)
- ^ 窪田順生の時事日想: TPP反対だからってホント? 東京地検特捜部が徳州会を狙う理由 2013年09月24日 07時30分
- ^ “医療法人「徳洲会」選挙運動員を多数派遣か”. NHK NEWSWEB (日本放送協会). (2013年9月17日). オリジナルの2013年9月17日時点におけるアーカイブ。 2013年9月17日閲覧。
- ^ 「徳洲会事件:徳田虎雄氏「総括主宰者」認定も「中止処分」」毎日新聞 2013年12月24日
- ^ 「「徳洲会」公選法違反事件 創設者・徳田虎雄理事長が辞任」FNNニュース10/21
- ^ 「医療法人徳洲会・特定医療法人沖縄徳洲会の臨時理事会冒頭での挨拶文」徳洲会グループ
- ^ 「徳洲会関連6社、虎雄氏が今月社長就任 院政に内部反発」朝日新聞2013年11月14日
- ^ “第28回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 トラオの夢 病院王・徳田虎雄とその時代”. フジテレビジョン. 2020年9月9日閲覧。
- ^ “「政治の力で医療を変える」徳田虎雄の金まみれ選挙戦のワケと、難病発症までの激動の半生”. フジテレビジョン. 2020年9月9日閲覧。
- ^ a b c 「「徳田」姉妹の素性…金庫番として裏金管理か 徳洲会公選法違反」ZAKZAK2013.11.13
- ^ a b 「徳田ファミリー ボス姉2人逮捕」日刊スポーツ2013年11月13日
- ^ 「「徳洲会」選挙違反事件 逮捕の姉妹、人事と金の実権握る」FNN11/13
- ^ a b c d 「徳洲会、日本最大の医療グループに走る激震」東洋経済2013年02月04日
- ^ 「徳洲会騒動は、永田町で炸裂するのか!! 発端の「能宗メモ」どこまで波及(後)」ネットアイビーニュース2013年9月26日
- ^ 「徳洲会、他党候補も選挙応援 虎雄氏、影響力拡大ねらう」朝日新聞2013年11月14日
- ^ 飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ 映画.com
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
党職 | ||
---|---|---|
先代 小島慶三 椎名素夫 徳田毅 |
自由連合代表 第4代:1996 ‐ 1997 第6代:1998 ‐ 2005 第8代:2006 ‐ 2010 |
次代 椎名素夫 徳田毅 解散 |
その他の役職 | ||
先代 横山修二 |
日本体操協会会長 第7代:1999年 - 2001年 |
次代 二木英徳 |