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川瀬一馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川瀬 一馬
人物情報
生誕 (1906-01-25) 1906年1月25日
日本の旗 日本東京府東京市赤坂区表町
死没 (1999-02-01) 1999年2月1日(93歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京文理科大学
学問
時代 大正昭和平成
研究分野 書誌学
文献学
学位 文学博士
主要な作品 『日本書誌学の研究』
『古辞書の研究』
影響を受けた人物 白鳥庫吉
諸橋轍次
主な受賞歴 紫綬褒章
勲三等旭日中綬章
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川瀬 一馬(かわせ かずま、1906年1月25日 - 1999年2月1日[1])は、日本書誌学者、日本文化史家。文学博士東京教育大学・1954年)。

経歴[編集]

東京市赤坂区表町で生まれる。父方の先祖は伊勢で米商を営んだ家柄という。麹町小学校を卒業するが[2]、その間、を失ったために進学の道を絶たれ東京市役所に給仕として勤める。小学校の旧師の尽力により成蹊実務学校に入学し、中村春二の薫陶を受ける。日本史専攻の志を立て東京高等師範学校文科に入学、ここで国語は松井簡治、漢文は諸橋轍次の指導を受ける[3][4]。また、学習院山岸徳平教授(のちに東京文理科大学助教授・教授)に個人的な指導を受けた[5]。ついで東京文理科大学へ進み、卒業[6]後の1932年春に同大学国語国文研究室初代助手となる[7]が、2年あまりで職を解かれる[8]。以後は公職に就かず研究活動を続ける。

2代目安田善次郎の知遇を受け、安田文庫の典籍蒐集に助力。1950年(昭和25年)から1974年(昭和49年)まで青山学院女子短期大学国文科主任となり、同時に1965年(昭和40年)から文化財保護審議会専門委員に任命され81歳まで務めている。青山学院女子短大名誉教授、財団法人大東急記念文庫理事、五島美術館理事、財団法人阪本龍門文庫理事長などの要職を兼ね、晩年には石川文化事業財団が所蔵する成簣堂文庫の再調査・目録編纂に従事[9]静岡英和女学院院長、静岡英和女学院短期大学学長を歴任した。

1954年(昭和29年)に「古辞書の研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される[10]。1966年(昭和41年)に紫綬褒章、1976年(昭和51年)に勲三等旭日中綬章を受章している。研究者としては東洋文庫白鳥庫吉[11]、東京高等師範学校時代の恩師諸橋轍次の静嘉堂文庫に拠って書誌学を興したいという意図の影響を受け[12]、さらに若い頃から弓道[13]茶道香道華道に至るまで研鑽を積み、個人の文庫で珍籍を扱った経験は多数の学術書に結実している。

著書[編集]

単著[編集]

編著・編集[編集]

校訂、校注、解説[編集]

記念論集[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 西野春雄 2001
  2. ^ 国語国文学論文集 川瀬博士古稀記念 川瀬博士古稀記念出版委員会編 雄松堂書店 1979
  3. ^ 川瀬『古辞書概説 私の古辞書研究』、3頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12448813/1/17 
  4. ^ 川瀬『日本文化史と書誌学』〈国語国文学論文集 : 川瀬博士古稀記念〉、4頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12447525/1/11 
  5. ^ 川瀬『古辞書概説 私の古辞書研究』、9頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12448813/1/20 
  6. ^ 東京文理科大学一覧 自昭和8年4月至昭和9年3月』東京文理科大学、1934年、83頁。 
  7. ^ 川瀬『古辞書概説 私の古辞書研究』、7頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12448813/1/19 
  8. ^ 川瀬『古辞書概説 私の古辞書研究』、8頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12448813/1/20 
  9. ^ a b 川瀬『成簣堂文庫随想 はじめに』、34 - 37頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12237364/1/21 
  10. ^ 書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年3月4日閲覧。
  11. ^ 川瀬『古辞書概説 私の古辞書研究』、6頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12448813/1/19 
  12. ^ 川瀬『日本書誌学用語辞典 はじめに』1982年、4頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12237105/1/9 
  13. ^ 川瀬『古辞書概説 私の古辞書研究』、5頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12448813/1/18 

参考文献[編集]

関連項目[編集]