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三笠宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三笠宮家
家紋
家祖 三笠宮崇仁親王
大正天皇第4皇男子)
種別 皇族宮家
出身地 東京都
著名な人物 三笠宮崇仁親王
寬仁親王(第1男子)
甯子内親王(第1女子)
宜仁親王(第2男子)
容子内親王(第2女子)
憲仁親王
支流、分家 桂宮
高円宮
凡例 / Category:日本の氏族
皇室






三笠宮(みかさのみや)は、日本皇室における宮号の一つ。

概要[編集]

1935年(昭和10年)12月2日、大正天皇の第四皇子である澄宮崇仁親王を初代として、成年式当日に創設された。宮号の由来は、阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんだ。

継嗣の寬仁親王に男子がいないことから、断絶見込み。

構成員一覧
性別 生年月日 続柄 概要
三笠宮崇仁たかひと親王 男性 1915年12月2日 大正天皇第四皇男子 2016年薨去
崇仁親王妃百合子ゆりこ 女性 1923年6月4日 三笠宮崇仁親王
甯子やすこ内親王 女性 1944年4月26日 崇仁親王第一女子 1966年婚姻
寬仁ともひと親王 男性 1946年1月5日 崇仁親王第一男子 1980年寛仁親王家として独立、2012年薨去
寬仁親王妃信子のぶこ 女性 1955年4月9日 寬仁親王 2013年寛仁親王家から合流
彬子あきこ女王 女性 1981年12月20日 寬仁親王第一女子 2013年寛仁親王家から合流
瑶子ようこ女王 女性 1983年10月25日 寬仁親王第二女子 2013年寛仁親王家から合流
宜仁よしひと親王 男性 1948年2月11日 崇仁親王第二男子 1988年桂宮家創設、2014年薨去
容子まさこ内親王 女性 1951年10月23日 崇仁親王第二女子 1983年婚姻
憲仁のりひと親王 男性 1954年12月29日 崇仁親王第三男子 1984年高円宮家創設、2002年薨去

系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
初代三笠宮
崇仁親王
 
百合子妃
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
甯子内親王
 
寛仁親王
 
信子妃
 
宜仁親王
桂宮家
 
容子内親王
 
憲仁親王
高円宮家
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王
 
瑶子女王
 

備考[編集]

寬仁親王家

三笠宮の継嗣であった寬仁親王は1980年(昭和55年)11月7日、婚姻を気に生計を独自に営むことになり、新たに「寛仁親王家」を立てた(三笠宮を継承予定であったため、宮号創設はなし)。

しかし2012年(平成24年)6月6日、寛仁親王は男子を得ないまま、父の崇仁親王に先立ち薨去。寛仁親王家の当主は不在のままであったが、翌2013年(平成25年)6月10日、寬仁親王の薨去時にさかのぼって寬仁親王家が廃されたものとして扱い、同家の成員については職員や皇族費はそのままで三笠宮家に合流することが宮内庁から発表された。同年7月31日には、当主のいなくなった寬仁親王邸を「三笠宮東邸」に改めることになった。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]